◇宮司の柴田です。
先代典行宮司が、御神殿東側に植えた紫陽花(あじさい)が、薄紅(うすくれない)や水色の花を咲かせました。 雨露に、ひと際あざやかです。
◇七月は、文月(ふみづき)です。
七月七日の七夕(たなばた)行事に、詩歌を牽牛(けんぎゅう)織女(おりひめ)の二星に献じたり、書物を開いて夜気(やき)にさらす風習があるので文月という説があります。 また、稲の「穂含月(ほふくみづき)」や「含月(ふくみづき)」が省略されて「文月(ふづき)」となった説もあります。 実は、「年」というのは稲の事であります。 一年の季節の移ろいはそのまま稲作の過程、プロセスそのものでありますし、「ネン」という語句が豊作を意味する「稔(ねん)、稔(みの)り」に通じます。 従って、文月という呼称やそれぞれの月の名称にも、日本人のお米を尊ぶ気持ち、大自然の恵みを神に祈り生活してきた御先祖様のいとなみをうかがう事ができるのではないでしょうか。
◇今、日本の国の食料自給率がどれくらいかご存知でしょうか。 アメリカが百四十パーセント、イギリスが七十パーセントを超えているのですが、日本は四十パーセントを割っています。 お米とサツマイモだけが百パーセントを保っています。 まさに日本はお米の国なのです。
◇米一粒にも七柱(ななはしら)、七人の神様が宿っていると考えられていました。 一回の食事で私たちは、どれだけの神様の「おみたま」や「みたまのふゆ」を頂いているのでしょうか。 有り難いですね。 仏教でも、お米を舎利(しゃり)といって、お釈迦様(しゃかさま)の骨に見立ててきましたし、お米を神聖(しんせい)なものとして大切にしてきたのです。 飽食(ほうしょく)と言われる現代ではその聖性(せいせい)が失われつつありますが、白い御飯を食べる事無く一生を終える人も多かった古い時代や、「銀しゃり」といわれた戦前戦後の苦しかった時代、年に一度、黄金の稲穂から生れ出るお米は、この上なく貴いものであり、秋の収穫、穫(と)れたてのお米である「お初穂(はつほ)」は、まっさきに神様に捧げられたのです。 そして、そのお供えのお下がりを神様からの「賜りもの」、「賜(た)ぶ物、給(た)べ物」と感謝して頂くのであります。 当宮でも毎朝午前六時過ぎには日毎の御日供祭(おにっくさい)を御奉仕し、その日の「お初穂」のお供えを欠かしませんし、参拝の皆様にも「御神供米(おみくま)」としてお頒(わか)ちしています。
◇私という漢字は、「禾(のぎへん)」に「ム」ですが、「禾」は「カ」と読み穀物の事で、「ム」は肘鉄(ひじてつ)の事ですから、「私」という漢字は、穀物を独り占めにしている状態を表しています。 私利私欲、私服を肥やすなど余りいい意味に使われませんね。 現代人は、「アトム」化していると言われます。それは、公共の一員としての自覚がなく、常に自分中心に自分勝手に行動をする「私化(わたくしか)」しているのであります。 やはり、公に生きていかなければならないと思います。 そこで、肘鉄の状態「ム」の腕をおろして皆で手をつなげようと、この「ム」に「八」をのせると「公」という字になるのですね。 原油の高騰や相次ぐ値上げ等我々の生活を危うくする深刻な事態が続いていますが、こんな時こそ、神様の「給(た)べ物」を頂いて命をつないでいくという事に感謝を捧げながら、分かち合う「公」の心で運命共同体としての地域社会を築きたいものです。 御自愛下さいましてお過ごし下さい。