■口碑伝説
◆光格殿と彦島八幡宮の発祥
保元二年(1157)十月のある日いつもの如く沖に出て漁をしていますと一天俄にかき曇り末甲の方角の海上に紫雲たなびき海中より日月の如く光輝く物があるのを見て、通次等は不思議な思いで網を打って引き揚げるとそれは一台の明鏡でありました。しかも鏡の裏には八幡尊像が刻まれていたのです。通次等は大いに喜び、之は我ら一族の護り本尊であると、海辺の一小島(後記の舞子島)の榊に一旦鏡を移し、その後祠を造営して鏡を納め光格殿とと命名しました。これが当八幡宮の発祥であります。
又舊記に海底より光り輝く物があり河野一族等鉾にて之を突きし八幡尊像の左眼がささりて賜りたりと云々何れが真か確証しがたい。
◆舞子島より現地へ遷座
正平四年(1139)二月三日夜、河野通次四代の孫・道久の代に八幡大神の御託宣があった。即ち「里より四丁、酉の方に平地あり、是れ我れが鎮座の地なり」と。道久恐懼して直ちにこの平地を開き社殿を造営して、同年五月下旬竣工遷宮の式を行い、社地名を宮ノ原と称した。これが現鎮座地であります。
◆舞子島とサイ上リ神事
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永暦元年(1160)十月十五日先に小川甚六・柴崎甚平に命じて森の楠で刻ませた八幡尊像を光格殿に奉納し通次は甲胄を着して弓を取り郎党、家人に榊を持たせ社前に拝し、武運長久と一族の繁栄を祈りて後、大いに舞い踊り、我等が守り本尊「サァ揚らせ給う」と大声にてとなえたと云い故にこの一小島に舞子島と云うようになりこれがサイ上リ神事の始まりとなりました。 |
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